プルーンプラム

女子大生の読書ブログ

女のいない男たちを読了して

発売日のお昼休みに神保町の三省堂書店に行きました。

 

村上春樹はまえがきでこう述べています。素敵。

『僕がこれまでの人生で巡り会ってきた多くのひそやかな柳の木と、しなやかな猫たちと、美しい女性たちに感謝したい。そういう温もりと励ましがなければ、僕はまずこの本を書き上げられなかったはずだ。』

 

f:id:mrixo24:20140426175227j:plain

f:id:mrixo24:20140426175307j:plain

 

「女のいない男たち」には六つの短編がはいっている小説集である。

 

私はこれから気に入った二つの作品について触れたいと思う。

「イエスタデイ」と「女のいない男たち」だ。

この二つの作品がおさめられていたからこそ、去年刊行された長編小説よりも楽しめた気がする。(わりとみなさんがこの二つを比べているので私も比べてみた。)

 

 

「イエスタデイ」がとても良かった。おそらく理由は、浪人生活二年目が一人と現役で大学に入学した二年生が二人で、私と同じ二十歳であったからだ。 そうなると情景をありありと想像しやすいのだ。

 

「でも、若いときにはそういう淋しく厳しい時期を経験するのも、ある程度必要なんじゃないかしら?つまり人が成長する過程として。」

「君はそう思う?」

「樹木がたくましく大きくなるには、厳しい冬をくぐり抜けることが必要みたいに。いつも温かく穏やかな気候だと、年輪だってできないでしょう。」

 僕は自分の中にある年輪を想像してみた。それは三日前のバームクーヘンの残りのようにしか見えなかった。僕がそう言うと彼女は笑った。

 

「私たちもう二十歳なのよ。恥ずかしいとか言ってる年齢でもないでしょう」

「時間の進み方は人によって少しずつずれているのかもしれない」と僕は言った。

「木樽はたぶん、何かを真剣に求めているんだよ」と僕は続けた。「普通の人とは違う彼自身のやり方で、彼自身の時間の中で、とても純粋にまっすぐに。でも自分が何を求めているのか、自分でもまだよく掴めていないんだ。だからいろんなものごとを、まわりに合わせてうまく前に運んでいくことができない。何を探しているのか自分でもよくわからない場合には、探し物はとてもむずかしい作業になるから」

 

大人に二十歳が人生において一番輝ける時期だよと言われても、良さがわからなかったりするから、

年輪をバームクーヘンにみたててみたり、

ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として捉えるかの形而上学的な問題について考えてしまうのだろうか。

 

村上春樹は“何か”を探している若者の描写がとても優れていると思う。“何か”の答えは物語に書き記してはいないのだけれど。

 

 

 

 

二つ目のお気に入り、

書き下ろし作品の「女のいない男たち」は、ハルキストのために存在している作品と言い切れるのではないかと思うほど、村上春樹が好きな人は、好きな作品だろう。

 

どうしてだろう?

僕はエムとの出会いを十四歳のときに出会った女性だと仮定して話がすすめられるからだろうか。

僕が、温かい西風が吹くたびに勃起していた男の子だったからだろうか。

比喩表現がいちいちお洒落だったりするからだろうか。

 

女のいない男たち

女のいない男たち

 

 

 

今回は村上春樹の作品を大絶賛してみたけれど、最近の私は、村上春樹の新作が発売したから、村上春樹の作品だからといって手にとっている気がする。

しかもがっかりもするくせに、最後は村上春樹の作品を読んだことに満足していたりする。やれやれ

 

 

 

村上春樹は「約束された場所で」を読んでから、これが現代作家のあるべき姿だなと思いました。そのことについては「アンダーグラウンド」をGWのお休みを利用して読んでから書こうと思う。

 

 

 

追記

違う世界だとスターバックスの店員の対応も違うのか?

表参道から青山一丁目まで歩く距離も相当違うのか?