プルーンプラム

女子大生の読書ブログ

ランチのアッコちゃんを読了して

朝井リョウさんが本の帯で「いま柚木作品を読んでおくと、近い将来、ドヤ顔ができます。あのドラマ化も映画化も良かったけど、やっぱ原作が最高だよって」とおっしゃっていたので本を手に取りました。

 

OLの三智子が結婚する気だった彼氏に振られ、しょんぼりしていたところをアッコ女史が元気を出させてくれるお話なんです。

 

アッコ女史がお弁当持参の三智子と自分の1000円ランチを一週間交換する約束をするときの場面で、アッコ女史が「外回りの時にお弁当があると心強いのよ」と口にするのに対し、三智子は心の中でこう反論します。

 そうだろうか。お弁当は、食べる場所や時間を決めずに持ち歩くと、大層重荷になる。以前、洋太郎(元彼)が泊まった翌朝、お弁当を持たせたことがあった。一つ作るのも、二つ作るのも同じ、という軽い気持ちでしたことなのだが、その夜、

「もう、こういうのやめて。重いよ。食べるタイミングとか場所とか探して、疲れたし」

 全く手を付けられていないお弁当を突っ返された。思えばあの時から、彼の心は離れていたのだろう。

こういう女性特有の心情を書けるのは、女性作家しかいないよなと思いました。

 

以前、朝井リョウさんがインタビューで「女性の気持ちのほうが、わからないからこそ小説作品に出来る」と答えていたけれど、そんな創作された女性は男性の理想を押しつけられたりしているので、キレイだけれど、リアリティがないよなって思ってました。

 

だから今回、朝井リョウさんと仲の良い柚木さんが、こうも女性らしい作品を出版してくれて嬉しいです。

 

「食べることは生きること・・・・・・。一杯の温かい飲み物が人と人との心を繋ぐんですねえ」

「『かたつむり食堂』や『食堂かもめ』みたいなほっっこりしたこと言ってんじゃないわよ!」

「アッコさん、それを言うなら『食堂かたつむり』や『かもめ食堂』ですよお。」

のくだりが面白かったです。柚木さんも似ていると感じていたのかと。

 

 

ランチのアッコちゃん

ランチのアッコちゃん

 

 

 

私という運命についてを読了して

私という運命について (角川文庫)

「ちょっと恥ずかしいんですけど、私は中学生の頃から『好きになったら命懸け』という言葉が一番好きだったんです。自分も大きくなったら絶対に命懸けで誰かのことを好きになるんだって思ってました。それが大学に入って児童心理を勉強するようになって、そういう考え方はもしかしたら間違っていたんじゃないかって思うようになったんです。命懸けで人を好きになるというのは、盲目的に人を愛するということですよね。でもそれは往々にして独りよがりの自分勝手な感情を相手に押しつけることにしかならないと思います。(中略)

だから、私は、愛することよりもまず愛されることが大切なんだと思うんです。そういう意味では『好きになったら命懸け』というのは、かなりエゴイスティックな考え方ということです。」 

 

 

ヤンキー経済を読了して

ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体 (幻冬舎新書)

話題になった「マイルドヤンキー」について書いてあった。

 

マイルドヤンキーとは地元大好きな人たちのことである。

全国で地元族や残存ヤンキーの若者たちにインタビュー調査をしていると、彼らが「地元が好きだ」と頻繁に言うので、「具体的に地元のどこが好きなの?」と聞いてみても、「地元に友達がいるから」という答えが圧倒的に多く、郷土の具体的な良さ—名産品や郷土史、名士のインタビューなど—はまったく出てきません。

 

つまり、マイルドヤンキーとは、どこの土地でも置き換え可能な「ジモト愛」という感覚を強くもっている人たちのことである。

また、中学生時代と地続きの「居心地の良い」生活をキープしたい人たちとも言える。

 

地続きの生活の代表例としては、ファミレスのだらだらした集まりが挙げられます。彼らは高校、大学、社会人と年を重ねても、いつものメンバー(いつメン)と、中学時代と同じ場所で、同じ消費をします。年を取り、社会的ステージが変わったからといって、ライフスタイルや人間関係を変えるのはめんどくさい。自己や環境を変革するエネルギーを使いたくない。現状維持に努め、楽であることを最上位概念とする考え方を持っています。

 

この本はマイルドヤンキーはさとり世代のなかでも消費する人たちで、この人たちをリサーチすればビジネスチャンス!というのが書いてあるもの。

 

以下はマイルドヤンキーと呼ばれる人たちと同世代の私個人がひっかかった部分について。

 

私は実家から都内の女子大に通う女子大生だ。地元の中学を卒業している。

私のFacebookのタイムラインは、マイルドヤンキーの更新で埋め尽くされている。

 

マイルドヤンキーの人たちに問いたいのは、地元のどこが「居心地が良い」の?だ。

 

別にいじめられてたとか、いじめてたとか過去に何か酷いトラウマがあるわけではないけれど、地元に住んでいて「居心地が良い」と感じたことが全くない。

 

 

終電で東京から地元に帰るのに何度、早く地元から抜け出したいと考えたことか。

都内の大学でも実家から通えるし、家族は好きだし、お金がないから、実家から通っているけれど。都内に一人暮らししている人と付き合おって考えたことだってある。

ここは退屈迎えに来ての本にすごく共感したりもした。

 

 

しかし、私がマイルドヤンキーを避けるようにあちらもどうやら避けているようだ。

中卒・高卒のマイルドヤンキーの間には、大学生コンプレックスと呼べるような根強い劣等感が存在します。(中略)

これは単に親の金でチャラチャラ遊んでいて腹が立つというよりは、大学進学率が50%と超え、大学に行くのがごく普通のことである現在、「行けるものなら自分も行きたかった」という気持ちの裏返しだとも思われます。

 

ライフステージが上がっても中学時代の友達と中学時代に遊んだ場所で地続きの生活を送ることが多いマイルドヤンキーにとって、地元や地元友達を捨て、どんどん新しいライフステージに移行し、新しい友達を増やしていく人は、自分たちとは異質で脅威的な存在です。

 

中学の同級生が成人式で再会した中学時代のいつメン男子何人かで飲みに行った話を聞いたんだけれど、大学生コンプレックスが酷かったと言ってました。これは現実問題である。

 

ところが、ある時点で失敗し、自分たちのライフステージに戻りたいと考えるようになった友達は、自分たちの考えをやっとわかってうれた存在として受け入れます。

有名女子大の学生にもかかわらず、地元の友達とべったり過ごしている彼女はこう分析しています「つい最近までは、地元友達とあまり親しくしておらず、たまに地元友達との飲み会に行っても本当に心を開いてもらえないと感じていた。でも、自分が就活に失敗してからは、地元友達に頻繁に誘われるようになった」

 

 私の中学の同級生の彼も(特定されるから書かないけれど)いろいろあって「ジモト愛」グループの仲間入りを果たしたみたいでした。Facebookの投稿で知りました!良かった良かった!

 

「あいつは変わってしまった」と寂しく思うマイルドヤンキーたちと、「あなたたちと私は違うのよ。でも、それを言ってもあなたたちには伝わらない」とやるせない思いに駆られるエリート。一体どちらのほうが辛いのでしょうか。

 

この問題に答えはないだろう。

 

 

追記

マイルドヤンキーさんたちは「安定した生活」「結婚」「幸せな家庭」を望んでいるらしいんですが、それは私も同じなのでよろしくどうぞ。

都内の大学に通っていますが、将来の夢は「お嫁さん」になることです!

一緒に夢の実現に向かって頑張りましょう。

 

 

 

喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!

 斎藤孝:恋愛関係に入る前って、相手のクセなんて見えないでしょう。ある程度の間つきあったり、暮らしてみて初めて見えてくるものだから。僕はお互いのクセを交錯させて味わい尽くすというところに恋愛の醍醐味を覚えるんですね。普通だったら飽きて次へいってしまうかもしれないけれど、そこから「飽きない」という循環に入っていく。

(中略)

飽きないクセはたしかに、つきあってみないとわからないので、やっかいなんですが。だから初回で相手のクセがはっきりするような状況に持っていきますね。

 

 そして、相手のクセがはっきりする状況なのが「喫茶店で2時間過ごすこと」である。

たとえ試してダメな場合でも、2時間を費やしただけ、お金はコーヒー代のみ。

そして、誰でもいますぐに実行できる。

 

居酒屋はダメ。理由はお酒が入ってしまうと、どんな会話をしても楽しく感じてしまうから。

 

「喫茶店での会話」は、声の調子や匂いもある。手の位置や目の動きもある。

身体感覚を伴ってのコミュニケーションが揺るがない結果をもたらす。

 

斎藤孝:こちらの会話が相手にビビッと伝わり、相手の返してきた言葉がこちらにビビッと電流を走らせる。いつものおしゃべりとは違う、だらだら無駄話とも違う、まさにからみ合うとでも表現したくなるような会話。そんな体験したことありますか?

 

でもこのエクスタシーを感じられる会話は、物知りな男性の話を聞いて「この人素敵!なんて博識!天才かしら」と感激して、そのまま自分も相手の懐深くにたどり着けたような錯覚だとダメ。(たとえるとキャバクラ、ホストでの会話)

 

つまり、会話力を磨きましょうということ。

物知りな男に惚れても失敗するよ!(これはガチ)

自分からも惹かれるような会話が出来ないと飽きたって捨てられるよ!(これもガチ)

 

しかし、この経験があるからこそ次に繋がるので、失恋を恐れずに女のほうからアタックしていこう。

斎藤孝:女性は、過去につきあった男性というものによって変化した存在として現在ある。そういうものとして見るのが、イヤだなと思ってしまったら、もうそこで終わり。そうではなくて、「あ、過去にこんなふうな手が加わっていたのか。つきあってみて初めて気がついた」「それって、自分の体験では決して出会えなかったことだろう。知ることができてよかった」みたいな見方ができれば、豊かな世界が開けてくる。

 そういう意味も含めて、男性に文学的要素がなくなってきていることが、なによりも問題で、薄っぺらで貧相な感覚の関係が増えてしまっているのではないかと思います。

 

 

この本は、斎藤孝倉田真由美の対談形式。

とても良かったのは、男を4つにランク分けしてAランクの男を会話で捕まえる方法。

 

いかに基本的な「会話」というものが大切なのかが分かった。

 

喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな! (集英社be文庫)

喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな! (集英社be文庫)

 

 

 

キレイゴトぬきの農業論 〜抜いた瞬間の人参はエロいサイドにいけるものだぜ〜

キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)

キーワードは「エロうま野菜」

 

最初にこの「エロうま野菜」を知ったのは、アルバイトをしていたイタリアンレストランの店主のブログでした。([神田 ワインとイタリアン] Stella Collis – Trattoria & Wine Bar » Blog

 

まーた店主が「エロうま」なんて変なこと言ってるよと思っていたのですが、なんと野菜の作り手の久松さんも変な人だったみたいです。

 

「エロうま野菜」とは?

 肉やスイーツに比べると、野菜は「エロ」より「美人」に近いイメージです。一般に野菜から連想される言葉といえば「女性」「健康志向」「ダイエット」等。 体のことを考えて、極端に言えば我慢して食べるというイメージも強いのではないかと思います。

 (中略)僕がつくりたいのは甘い野菜ではなく、ウマい野菜。体にいいから頭で食べるのではなく、思わず体が欲してしまうようなヤバい野菜です。

「健康な野菜」は、分かりやすい甘さだけでなく、ダシのようなうまみや苦みも複雑に絡み合い。深い味わいを与えてくれます。味や香りだけではありません。株全体の力強い姿や実の曲線が、僕にはグッと来ます。僕は、これを「エロうま」と表現しているのです。

 

私はアルバイト先の賄いや試作品で「エロうま野菜」を食べたことがあります。

黒キャベツとか菜の花は苦みが美味しかったです。味がギュっとしていて。

(食レポ出来ないのでこのくらいにしておきます)

 

実際に「エロうま野菜」を食べたい人はぜひ私が前アルバイトをしていたイタリアンレストランへ。ぐるなび - Stella Collis(ステラコリス)

こういうお店に連れてってもらったら、女性は大喜びだと思います。

 

 

 

「抜いた瞬間の人参はエロいサイドにいけるものだぜ」

「抜きたての人参はエロい香りがする」は、久松さんが「久米書店」の番組で口にしていた言葉です。

檀蜜も番組内で「エロうま野菜」を絶賛していました。

(ちなみに私は小蜜と同い年です)

 

面白いことは、説明するととたんに面白くなくなるハズなのですが、久松さんの「キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)」は面白い読み物でした。

仲間からは「日本一話のうまい農家」と揶揄されるそうですが、それを強みに農業をとことん改革していってください。私の体の一部になっている野菜をありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

ニシノユキヒコの恋と冒険を読了して


映画『ニシノユキヒコの恋と冒険』予告編 - YouTube

 

今年の二月に映画化されて。

すっごく観たかったのに何故か観に行かなかった作品。

 

小説のページをめくると出てくる目次で、読むのが楽しみになった。

だって「ドキドキしちゃう」って書いてあったから。

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でも内容は結構エグくて。

 

この10コのタイトル分ニシノユキヒコに恋してしまう女性が出てくる。

そして好きなのに別れを選ぶ女性たち。

最初はなんで女性たちは本当は好きなのに、別れを選ぶんだろうと疑問に思っていたけれど、

読み進めていくうちに、理由が分かってくる。

 

自分のほうが好きな気持ちが大きくなったら、容赦なく捨てられるんだろうなと

一緒にいても不安しか覚えない人なのがニシノユキヒコ。

 

だから本気で好きにならないように努力する。

傷つくのが怖いし。女性はみんなニシノユキヒコへの恋に溺れたくないんですよ。

現代的な恋愛をうまく書かれておられる。

 

そしてニシノユキヒコ本人は捨てられたくないから

「結婚しよう」なんて思ってもいないことを平気で口にする。

 

「結婚しよう」の言葉の重みをちゃんと理解していなさすぎる。

そう言えば女性は安心するだろう、離れていかないだろうと勝手に思っている。

 

女性を離さないための手段として口にするような言葉じゃないんですよう。

言葉の重みを意識して、タイミングもちゃんと合わせないと。

その「結婚しよう」の言葉のせいで逆に女性は諦めがついちゃうんですね。

 

「ああ、ニシノユキヒコは自分のことなんてこれっぽちも気にもかけてくれていない」

 

 

でもね、私も作品に出てくる女性たちのように、ニシノユキヒコに恋せずにはいられなかった。

完璧なのに、どことなく抜けた部分を魅せてくるニシノユキヒコ。

この本を友人に貸したら、友人も必ずニシノユキヒコに恋するんだろうなって思いました。

 

 

小説と映画は終わりかたが違ってくると思うので、両方楽しんだほうが良いと思います。

まず小説を読むのをオススメします。

ニシノユキヒコを竹野内豊が演じるから好きって感想を持って欲しくないんです。

予告観るだけで竹野内豊に恋しちゃうように映画化されてるみたいなので、注意! 

ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)

ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)

 

 

 

ニシノユキヒコの恋と冒険 DVD(特典DVD付2枚組)
 

 

 

 

朝井リョウ スペードの3を読了して

朝井リョウさんには、読み終わった後味が悪い物語を書き続けてもらいたい。それが今回「スペードの3」を読了した感想です。

おそらく、あんなに「もうこれ以上話が進まないで」って思いながらもページをめくる作品を書けるのは、朝井リョウさんだけだと思います。

 

 

他の人から見たら羨む、憧れるような全てを持っている人の欠点を探り出して、そこを突く。どんな人も必ず欠点を持っているんだよね。

今回は小学校の時に学級委員をやっていた女性と、元宝塚の女優。

 

人が踏み込んでほしくない部分に踏み込んでそんなに楽しいですか、全てを手に入れている朝井リョウさん。

 

悔しいよ。見つけにくい人から欠点を見つけるのに、それを書いているのは欠点がない朝井リョウさんなんだから。

 

人の人生と違って物語は簡単に、好きなところで終わりに出来るから、読み終えた人に何かを感じ取ってもらえるところで終わりにする書き方をしているのかなって思いますが、どうなんでしょう。

 

 

スペードの3

スペードの3

 

 

 

朝井リョウさんが好きって公言すると、若手イケメン作家だもんね、ミーハーだねって返されますが、私は性格の悪い朝井リョウさんが好きなんです。

2回サイン会でお会いしたことがありますが、R25のインタビューを読む限り、サイン会はあまり心に残る出来事ではなさそうですね。サイン会にくるのは自分を褒めてくれる人しか来ないから、ですって。

確かに私も「好きです!応援しています!」とかしか話せなかった。

でもそれは、朝井リョウさん本人と握手出来る緊張からであって、あがって伝えたいことが飛んだってのもあったのですよ。

ここで女子校女子大病が出るとは・・・次はお手紙にかきますね。

 

あとは「桐島」あたりを読んでファンになったであろう女子中高生から手渡しでファンレターを貰っていたのにそんな言い方はないよって思いました。

私は、そんな性格が悪いところが好きなんですけどね。