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女子大生の読書ブログ

『現代文化論 社会理論で読み解くポップカルチャー』を読了して

現代文化論: 社会理論で読み解くポップカルチャー』は二〇一一年にミネルヴァ書房から、映画、テレビドラマ、ポピュラーミュージック、マンガ、アニメ、文学、パーソナル・コンピュータ(ウェブ)、ファッション、観光、お笑いといった十の領域を通して、現代におけるポップカルチャーの現象について考えるための視点や理論を身につけることを目的に出版された。

現代文化論: 社会理論で読み解くポップカルチャー

 

私たちは映画やテレビドラマを見てその登場人物に憧れたり、ポピュラーミュージックを聴いて心を躍らせたりしながら、ポップカルチャーに日常的に接し、これらを楽しんでいる。だが、こうした文化現象はそれ自体、社会から離れたところで独立して存在しているのではない。私たちは無意識のうちに「社会的なもの」と結びつき、深く影響を受けている。

 

このことをアメリカの文芸評論家、フレドリック・ジェイムソンは『政治的無意識ー社会的象徴行為としての物語』(平凡社ライブラリー、1981=2010)において「政治的無意識」と呼んでいる。

彼によれば、一見まったく政治的に見えないような作品でさえ、それだけで自足して存在している「記号の戯れ」では決してない。彼にとって文学作品は、つねに社会的な欲望や希望が刻印されたものなのだ。文学のうちに無意識に表現されている「社会的なもの」は、人々をこれまで抑圧してきたものであると同時に、人々を未来へと誘うものでもある。ジェイムソンは、文学の中の「政治的無意識」=「社会的なもの」を明るみにだし、歴史の中へと解放していくことが、文学を考察する上で重要だと考えた。

 

このジェイムソンの主張に沿って、現代文化論: 社会理論で読み解くポップカルチャー』は文化現象から「政治的無意識」を明らかにし、「社会性」を考察している。各章すべてに「視点&セオリー」と「ケーススタディ」の節が設けられている。また、章の最後には、学習を進めるのに役立つ本が数冊「ブックレビュー」として紹介されている。

 

ポップカルチャーとは何ぞや?」と思っていた私にも、現代における文化現象について考えるための視点や理論を身につけられる書物であった。

 

特に、「観光」も文化現象のひとつであり、現代社会の徴候が先鋭的に現れる場(トポス)となっていること、そして、観光という文化現象を「擬似イベント」「シュミレーション」という視点で考察できることに驚いた。

 

アメリカの社会評論家であるダニエル・ブーアスティンは『幻影の時代ーマスコミが製造する現実』という本の中で、雑誌、テレビ、映画、広告といった複製技術メディアで描き出されたイメージの方が現実よりも力をもつという現象を「擬似イベント」と名づけている。(遠藤、124頁)

 

 現実やオリジナルよりも、現実やオリジナルを分かりやすくドラマティックに演出しながら伝えてくれる「擬似イベント」の方に、私たちは深いリアリティ(現実感)を抱き始めるようになっていると遠藤は述べる。

 

本書では、「(雑誌の写真と)同じだ〜!」と現実の観光地がメディアで描き出されたイメージと同じかどうかを確認しているシーンが例に挙げられている。

ここには、観光という社会現象に関して非常に興味深い構図を見出すことができる。すなわち、現実そのものよりもメディアによるイメージの方がリアリティをもち、そうしたイメージを確認するために現実の観光地を訪れるようになっているという構図である。(略)ブーアスティンは観光地の本当の姿、本当の文化よりも、観光パンフレット、観光情報誌、映画、テレビなどのメディアによるイメージの方に観光客は惹かれるようになっており、そうしたイメージを確認するために現実の観光地へと出かけるのではないかと考えたのである。(遠藤、127頁)

 

果たして観光とはメディアによってつくり上げられた「擬似的なもの」に過ぎないのだろうか。遠藤はブーアスティンの主張を批判したものとしてアメリカの観光社会学者ディーン・マキャーネル『ザ・ツーリスト』(1976)を挙げている。

マキャーネルによれば、観光客たちは、つくり上げられ飾り立てられた観光空間を望んではおらず、観光地で暮らす人びとの本物の暮らし、本来の何も手が加えられていない真正な文化を経験したいという、真正なものに対する願望に駆り立てられるとされている。(略)マキャーネルはそうした状況を、社会学者アーヴィング・ゴフマンの用語を借りて「表舞台(front region)」ではなく「舞台裏(back region)」を観光客が求めているのだと表現する。(遠藤、129頁)

しかし、マキャーネルの観光客が現地の人びととの本物の暮らしといった「舞台裏」を希求するという主張に、遠藤は観光客が見たり経験したりしたものがはたして本物かどうかは、確かめられないと述べる。本当の暮らしぶりや文化だと思っていたのに、実は、観光客が訪問してもよいように演出された「表舞台」であるといった場合があるからだ。

 

ブーアスティンの「擬似イベント」論はメディア・イメージによってつくられた偽物ばかりになっている状況を憂え、本物の復権を主張していた。だが1970年代から1980年代にかけて、社会はメディア社会になっていく。私たちはメディアを抜きに思考することができなくなっており、メディアを単なる道具として操っているというのではなく、私たち自身がメディアの世界の住人となっていると遠藤は述べる。

 

ブーアスティンもマキャーネルも「本物/偽物」という区分のもとで観光状況を考えていた。だが、遠藤はメディア化された社会では「本物」という基準点も次第に失われ、全てはメディアの中で複製された情報の中の出来事となっていくと述べる。

 

このように、すべてがオリジナルなきコピーとなった状況のことを、ボードリヤールは「シュミレーション」と呼んでいることを、最後に遠藤は紹介している。(塚原史ボードリヤールという生きかた』2005,104-114頁を参照)

 

そして、この「シュミレーション」に彩られた世界として「ディズニーリゾート」が挙げられている。観光客は、すべてがメディアにつくられている「シュミレーション」であることを了解し、それを前提に楽しんでいるのだ。

 

今回の「シュミレーション」に彩られた世界は商業施設でしか作れないのか、メディアでも作れるのかは今後の課題としたい。(考えられるのは、アメーバ●グでお出かけ?)

 

ただ、現存する観光地のメディア(記事)作りでは、webサイトだからこそできる読者との会話、受け手の関与度を大切に「本物」にこだわって作っていくべきなのだろうと感じた。

 

 

現代文化論: 社会理論で読み解くポップカルチャー

現代文化論: 社会理論で読み解くポップカルチャー

 

 観光社会学という学問があって奥が深いことに気づけた書物であった。

(本を取ったきっかけは文学とファッションの社会理論での読み解き方が知りたかったから、といのはここだけの話。)

 

ガイドブック的! 観光社会学の歩き方

ガイドブック的! 観光社会学の歩き方

 

 

「擬似イベント」や「シュミレーション」以外に、観光社会学にどのような視点や理論があるのかについて述べられているそうだ。観光社会学に興味を持ったのならば、一読する価値があるとのこと。著者の遠藤英樹さんは観光社会学が専門だ。