『夜行観覧車』を読了して
湊かなえ『夜行観覧車 (双葉文庫)』双葉文庫、二〇十三年
ゼミで「登場人物の名前と小説の内容との関係性」についての参考資料として紹介されたのが『夜行観覧車』であった。
この『夜行観覧車』は、坂の上にある高級住宅地「ひばりヶ丘」に住む遠藤家、高橋家、小島家の三つの家庭を中心に描かれている。
無理をしてでも小さな一軒家をひばりヶ丘に建て、幸せを手に入れたかのように見えるが、中学受験に失敗し癇癪をおこす娘・彩花の家庭内暴力に悩まされる遠藤家。
遠藤家の向かいには、ひばりヶ丘の中で一番の豪邸に高橋家が住んでいる。
病院を経営する医師の夫、美しい妻、遠藤家の娘の彩花が落ちた私立S女子学院に通う長女と、名門私立K中学校に通いスポーツも万能の次男、さらに長男は、関西で一人暮らしをしながら医学部に通っている。
そして、忘れてならないのが遠藤家の隣に住む小島家の妻だ。自治会夫人部の会長を務めている。
そんな三つの家庭が暮らしている、誰もが憧れるひばりヶ丘で殺人事件は起きた。幸せを絵に描いたようなエリート一家、高橋家で。
テレビでは次のように放送された。
四日午前零時二十分頃、地元の消防署に「夫がケガをした」と通報が入った。救急隊員が駆けつけると、高橋弘幸さんが後頭部から血を流して倒れていた。事件性があると見た救急隊員は、地元警察署に通報。高橋さんは病院に運ばれて間もなく死亡が確認された。
警察の取り調べに、妻の淳子容疑者は「部屋にあった置物で、自分が夫を殴った」と供述。事件当時、同居をしている長女と次男は留守で、警察では高橋さんと妻とのあいだに何らかのトラブルがあったものとみて、調べを進めている。
事件当日、長女は友達の家に外泊、次男は犯行時間にはコンビニにいたという証拠があるが、その次男は事件発生を境に失踪。警察も残された子どもたちも、そして遠藤家、小島家の妻も真犯人は次男ではないかと考え始める。
三つの家庭の視点から、事件の動機と真相が明らかになっていくのだが、ここで注目したいのは『夜行観覧車』というタイトルにこめられた秘密だ。
長女は行方不明だった次男と、ひばりヶ丘をおりた先にある海岸付近の道で偶然再会するのだが、そこでの二人の会話で初めて「観覧車」という単語がでてくる。
「海から見る夜景もきれいだね」
ちびちびとスープをすすりながら、バスセンターの向こうの、山側を見上げた。ゆるやかな傾斜にそって、光の絨毯が延びている。
「……うん」
ようやく慎司が声を出した。
「山と海から、慎司はどっちが好き?」
「両方、いっぺんに見たい」
「ヘリコプターにでも乗るの? 贅沢ぅ」
「……観覧車」
「えっ?」
「ここの空き地に観覧車ができるんだ。ネットの市の掲示板に載ってたけど、知らない?」
「そんなとこ見ないもん。町おこしのために、遊園地でもできるの?」
「いや、観覧車だけだって」
「それじゃあ、観光客なんて来ないんじゃない?」
「でも、日本一大きいんだって」
「それはすごいかも。夜景も、海と山ばっちり両方見られそうだよね」
夜空にそびえる観覧車を想像するだけでドキドキしてきた。この地域の人たちは、山は上流、海は下流などとこだわっているが、観覧車に乗って両方を一度に見下ろすことができれば、どんなふうに思うだろうか。だが……、自分や慎司は観覧車が完成する頃もここにいるのだろうか。
山の上流とは、高級住宅地のひばりヶ丘を指している。下流は一般的な人々が住む場所だ。観覧車に乗ると、上と下が一度に見下ろすことができるのだ。
坂を登るにつれて地価も高くなっていく、そんなひばりヶ丘に住み、下々の生活を見下ろすはずが、家庭崩壊してしまう遠藤家。その崩壊の原因をつくった坂は、夫を殺した美しい妻も破滅へと追いやったのであった。
『夜行観覧車』は小島家の妻の次の言葉で物語は終わりを迎えている。
長年くらしてきたところでも、一周まわって降りたときには、同じ景色が少し変わって見えるんじゃないかしら。
そして、『夜行観覧車』は「登場人物の名前が小説の内容と関係している」のである。
遠藤家の「遠」は、受験で落ちた私立S女学院を毎日横目に見ながら、坂道を降り続け、完全な平地になったところにある市立A中学校に三十分かけて通う娘のことを現しているのだ。
高橋家の「高」は、エリート、高級住宅地の中でも一番の豪邸であることなど、遠藤家と比較して、すべて高いということを現している。
このように「遠藤」「高橋」など、どこにでもいる名字が小説の内容と関係していることがある。作者の意図を探ること、これこそ文学の楽しみなのではないだろうか。
湊かなえさんは、各登場人物のプロフィールをじっくり練ってから執筆にとりかかるという。
『夜行観覧車』を読むにあたっては、登場人物の一人一人の言動を見逃さないことが大切だ。