プルーンプラム

女子大生の読書ブログ

美丘を読了して

 

 

せつない恋の物語です。人を愛することの大切さを、愛の強さというものを学ぶことが出来た。

 

ぼくたちがみな一度きりの命を生きるように、快楽もつねに一度きりだ。ネットやメールがリアルタイムでふりまく膨大な情報に打たれていても、ぼくたちは恋愛においてはいつだって原始人なのである。人を愛するときめきに胸を震わせ、ふたりの秘密をつなげる快感に身体をしびれさせる。それは何度繰り返しても、新鮮さを失わない不思議な力だ。命の秘密は、デジタル情報の海のなかにではなく、明日をも知れないか弱い身体の奥に潜んでいる。 

 

恋に計算はいらない。ぼくたちの心は、決して頭のいうことなどきかない。恋をしたり、人を好きになるのは、心の奥深く、自分でも見ることも理解することもできない場所で起こるひそやかな変化だ。 

 

 ぼくは学んだのだ。誰かを選ぶことは、誰かを傷つけることでもある。その勇気はもち続けなければいけないし、悪や痛みは引き受けなければならない。考えてみれば、ぼくは生まれて初めてきちんと恋愛をしていた。自分を守りながら、誰かをほんのすこしだけ好きになる。そんな逃げ腰ではなく、恋愛の生むあらゆるプラスとマイナスを、自分の身体で受けとめていくこと。

 きみのおかげで、できるはずがないと思っていた恋が、できるようになったのだ。ぼくはそれまで、ずっと臆病だった。人を恋することから逃げてきた。誰も愛さず、誰かに愛されそうになると、あわててその場を立ち去っていたのである。もちろん、ぼくはきみに礼などいっていない。だから、ここでちいさな声でいっておこう。

 ありがとう、美丘。

 

ちいさな声でも、美丘の心には大きく響いたことでしょう。ここで涙腺が緩みました。

 

美丘は美しい丘というよりも、嵐の丘という感じの女の子です。

雨のなかでも、走りたければ走るし、好きな男がいれば、どんな困難を越えてもものにする子。

反省や後悔はしないし。

砂時計のようにこぼれ落ちる時間を手のなかににぎり締め、胸に輝く記憶を焼きつけさせてくる。

 

たとえると嵐のような、そんな美丘は実は治療法も特効薬もない病に冒されている女の子なのだ。だからこそとりわけ輝いているのかなと最初は思った。

 

でもね、人間みんな命に限りがあるんですよ。美丘だけがとりわけ輝いてみえるようではだめだ。

 

美丘の物語の終わりの解説(小手鞠るいさん)がこれまた素敵な締めくくりで。

 本当に素晴らしい作品というのは、私たちを泣かせない。むしろ、目覚めさせる。覚醒させる。孤独にさせる。『美丘』は、号泣、共感、共鳴、「わかる、わかる、この気持ち」

—そこからあともう一歩、先の世界まで、私たちを連れていってくれる。

活字のなかだけにある、豊かな孤独の世界へ。

痺れた。悲しい結末なのに、私も思ったよりは、あまり泣かなくて。泣かなかったのは、太一の語り口調が前をむいていたからだと思う。

私もなにかに目覚めたのかな、そうでありたい。

 

では、私の「わかる、わかる、この気持ち」の部分を。

「なんだか女の子にプレゼントを買うのって、ものすごくたいへんだな」

 

「それはそうだよ。きっと麻理さんだって、太一くんにマフラー買うために、足を棒にして歩きまわったと思うよ」

 

「こういうのは面倒で、あまりぼくの趣味じゃないな。いちいちプレゼントしたり、気をつかったり。そういうのでなくて、もっと自然に、変に力をいれたりせずに女の子とつきあえないものかな」

 

「あのさ、最近の男の子って、みんなそういうんだよね。恋をするときでも、楽ばかりしようとする。自分を変えたくない、新しいことはしたくない。それなのに、Hだけはしたがるんだから、たちが悪いよ」

 

世の中の女の子を代表して、よく言ってくれた!と思いました。

いやしかし作者は男性なのに、本当に女の子の心情描写がうまい。他にも、美丘が言うことは、心にどすんと音をたてて響く。

ね、この本、読んでみたくなったでしょう?

 

人を愛することって素晴らしいんですよ。依存するくらい恋に溺れることって格好悪いことなんかじゃないと思う。

私は、最近の若者の孤独は、人を心から愛せていないからだと思う。

自分が人を愛せないくせに、愛してもらおうとばかりする。

これは恋人に限ったことではなくて、家族だったり、友達だったり、自分の関わりのある人のこと、愛してほしい。

孤独を感じるのは、文学の世界のなかだけであってほしいものです。

 

 

美丘 / 石田衣良

 

美丘 (角川文庫)

美丘 (角川文庫)