プルーンプラム

女子大生の読書ブログ

いきいきした文章、力がある!

授業のレポート作成のためこの本読みました。

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

 

最初のプロローグに心をうたれましたね。時間がないとか言ってる人はプロローグだけでも立ち読みでもなんでもするべきかも。

 

本書の売り上げの一部は、マララ基金に寄付されるので、少しながらも募金した自分に酔いしれることが出来る分、購入を勧めますが。

十六歳の女の子が書いているとは思えないぐらいの文才!

 

 

訳者のあとがきから

女性の教育が禁止されている状況のなかで、必死に勉強を続けながら日記をブログに載せたり、マスコミのインタビューを受けたりしていた少女が、やがて世界の注目を集めるようになり、テロリストの衝撃を受け、瀕死の重傷を負う。その後、イギリスに運ばれ、奇跡的に命を取り止め、二〇一三年七月十二日、十六歳の誕生日、ニューヨークの国連本部でスピーチをおこない、ノーベル平和賞の最年少候補に名前がある

 マララ・ユフザイという少女はよくこんなふうにまとめられる。しかし、この本を読むと、いかにわれわれが彼女のことを知らなかったかを痛感させられる。

 

私はこの本を読むまでマララちゃんのことどころか、実際のイスラム社会にすら触れていないと気づき、少し後悔しました。

私が知っていることは、受験の試験で出るための少しのイスラムの用語ぐらいでした。(これくらいは覚えておくといいですよ。試験に出ますw)

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父にとって、学校を作ることは、ずっと昔からの夢だった。でも、その方面の人脈もなければお金もないので、夢をかなえることはとてもできそうになかった。知識ほど貴重なものはない、というのが父の考えだ。

 

父はこういっている。教育は自分にとって最高の贈り物だった。その教育を受けられない人がたくさんいることが、パキスタンの抱える多くの問題の根底にある。無知な人々は、政治家にだまされていることに気づかない。悪い人間を、選挙でまた選んでしまう。すべての国民が学校に通えるようにするべきだ。金持ちだろうが貧乏人だろうが、男だろうが女だろうが関係ない。父の夢みる学校は、こんなふうだ。教室には机が並び、図書室があって、コンピュータもある。壁には色鮮やかなポスターがたくさん貼ってある。そしてもちろん、トイレがある。

 

 

自分が日本人であって幸せだと改めて思い知らされました。彼女たちが求めているものを私は全て持っているのですもの。

 

 

 

一番心に残った部分は、彼女の父が、彼女の母に恋をして(イスラム社会では恋愛結婚は珍しいらしい)ラブレター(詩)を送ったのに、その文字が読めなくて母は学校に通わなくて後悔したという部分です。

 

女の子を学校に通わせようという父親や兄弟がいる家なんて母の家ぐらいだった。

 

でも自分は毎日学校に行くのに、ほかの女の子たちは家に残って遊んでいる。みんなは学校に行かなくてすんでいいな、と思うようになった。学校なんかに通って、なんの意味があるんだろう。結局は家で料理をしたり、掃除をしたり、子供を育てたりするだけなのに。

そんなわけで、ある日、母は教科書を売ってしまった。そのお金でお菓子を買って、学校に行くのをやめてしまった。

(中略)

母は父の書いてくれた詩を読むこともできなかったけれど、妻として、その夢をかなえる手伝いをしたいと考えた。

 

 

締めくくりとして国連本部でのスピーチから

 

女性に自由と平等を与えてください。そうすれば女性はもっと生き生きするでしょう。社会の半数の人間が抑圧されていたら、なにごともうまくいくはずがありません。

 

世界中の姉妹のみなさんにお願いします。勇気を持ってください。そんな力はないなんて思わないで。自分には無限の可能性があるということに、どうか気づいてください。

 

追記

授業で課題にしてくれなかったら、イスラム社会に、マララちゃんにふれあうこともなかったかと思うと・・・自分の情弱さに飽きれてしまいます。Listeningの授業なんですけれど、Listeninigの授業をしないで自由に授業を展開してくださるので、私はとても好きです。

Listeningの授業しろよって批判しているクラスメイトさんは、机の上の授業にしか興味無いのですかね?

「こんなのってないよ」

「こんなの絶対おかしいよ」

いやしかし、英語でレポート作成は厳しい。自分の英語力、ふがいない