We feed the world.
いま、書いておきたいこと。
フィリピンに留学して驚いたことがあります。
それは、豚の丸焼が市場で丸ごと売られているのを見たことです。
フィリピンの伝統料理であって、レチョンというのですが、日本で普通(この表現はあまり好きではないのだけれど、今回は敢えて“普通”を使用します)に生活をしている私は、
お肉ってすでに切られたものでしか見たことがなかったんですよ。
クリスマスの七面鳥を、実際に見たことがあるかないかぐらいです。(記憶が曖昧です。映像でしたら、それはもちろんあるんですが、、)
フィリピンではスーパーのお肉コーナーにそのままの形の豚がひもでぶらさげられていたり、
鳥の丸焼きの現場が見えるフード店があったり。
フードコートでさえも鳥の丸焼きをそのまま売っているんですよね。
日本ではなぜそのままの形で売っていないんでしょうね。衛生上の都合ですか。歴史的背景の都合ですか。消費者の都合ですか。
マグロの解体はショー(見せ物)になるのにね。
フィリピンに行く前にフードインクという映画を学校の授業で観ました。
その映像で初めて鳥が食肉になるまで、解体の映像を観ました。その映画は、自分たちの食についての認識の甘さを気づかせてくれるものでした。
その後、私はフィリピンで店の奥で鳥を裁いている場面を勝手にのぞき見したのですがw(鳥の頭が風呂桶みたいなのに入っていた。)
映画内では、鳥を裁くことを機械を使って行っていました。ただ、それだけでなく、卵としてこの世に出てきたら、日の光も浴びずにただ食肉として生きていました。
ここの部分はぜひ映像で、自分の目でみてほしいのですが、
食用肉としてただぶくぶく太らせて、2、3歩歩いたら足の筋肉が発達していないから、その場に座り込んでしまう鳥を、私たちは安価に食べているのです。
私は別に肉をこれから食うな、とかは言おうとは思っていなくて、ただ、解体を見て、気持ち悪い、見たくないって言っているのにその後平然と肉をたべていた日本人の態度が許せなかっただけ。
実際に解体しているのを見て、私には解体出来ないからお肉は食べるのやめようと思っただけです。
食べる人を咎めることもありません。今まで食べていたし、「いただきます」と「ごちそうさま」の気持ちを忘れなければいいと思います。
食用肉であっても、命にかかわる事に資本主義の精神を重ねるのはどうかと思います。
帰国してから、ありあまるごちそう
といのちの食べかたという映画も観ました。
この二作品は、日常の音をそのまま流していて、淡々と作業をこなしている従業員の姿をみれて、これがその人の仕事なんだなと、毎日の業務なんだなと思いました。
自分が口にしている食べ物って、安全なようで安全じゃないんだなとも思いました。
ただの映像ですので、解説を参照するとこれが何の映像かわかると思います。つまりは人によって映画の感想がさまざまになるんですよね。
Why our chicken are devouring the rainforest while a quarter of the Brazilian population is starving.
の一説が忘れられないです。