プルーンプラム

女子大生の読書ブログ

喪失から受容へ

文學界八月号の特集「村上春樹『多崎つくる』を読み解く」の記事を読みました。

 

湯川豊さんの「村上さんは繰り返し発言していますが、自分は物語というものを信頼して小説を書いているわけだけれど、その物語は最初にかっちりと構成が決まっているのではなくて、スポンテイニアス、自発的であることが生命なんだということです。」

 

小山鉄郎さんの「村上さんのなかには、物事をきちんと見極めるためには、遠くまで行かなくてはならない、また、小高いところから、自分のいる場所を眺めなくてはいけないという考えが一貫してあると思います。(中略) 最終章で、傷のない平和で幸福な共同体なんて永遠に続くはずがないということに、敏感なシロがいちばん最初に気がついたのかもしれないという理解が、多崎つくるに訪れます。我々が、ほんとうに生きるには、生まれ育った世界、共同体を一回離れて、遠くから自分を見つめ直すことが必要なんじゃないか。僕はそんなふうに五人の運命を読みました。」「沙羅と結ばれるためには、電話に出ちゃいけないのではないかな。村上作品において人と人とは、独特な結びつき方をしています。闇のなかで結びつくとか、地下に降りていって結びつくとか。必ず独りになって自分の心の中にぐーっと潜っていくことで、つながっていくんですね。だから、現実に電話に出てしまってはいけないんだと思うのです。」

 

との発言が心に残りました。この対談は『多崎つくる』をのびやかに楽しむための鍵として存在している。なるほど、とうなずける部分も多々あったけれど、やはり理解できなくて。『多崎つくる』の作品を通して、また村上春樹の世界の深さにどんどん溺れていくんだなーと感じました。

 

留学して少しは自分を遠くからみつめてみたいし、深い次元で人と繋がりたい。

時間は有限だけれども、大学時代ってモラトリアムですよね?